『エミリー・ポストのエチケット』が、Burke 1935: p. 51 で引用されています。
エミリー・ポスト((ベストセラーのエチケット本の著者))が新時代((好景気の1920年代後半。=狂騒の20年代 roaring twenties))の1925年から1929年の間に、何十万部も彼女の著書を売ったとき、われわれの文芸のなかに、対応する「スタイルの問題」を探すことができる。見込み薄のマシュー・アーノルド(教養主義の詩人・批評家)たちがほとんど馬鹿げたほど不適切なラベルに訴えて、酔っぱらいたちの気を鎮めようとしているであろう。タフでハードボイルドの作品があり、それらは経験からの機転を表現し、状況にふさわしい望ましい催眠術を作り出すために適切なラベルを用いるだろう。そして、命令によって一群のラベルを確立しようとする表面的な試みもあるだろう―強制された感情と温室育ちの上品さの文学、あるいはプロレタリア芸術運動が一夜にして出現できるというそれほどまでのすばやい献身の文学のように。
社会学者にはよく知られているように、本書は、Erving Goffman Behavior in Public Places (1963 ) の議論のデータの一つです。Google Books で検索すると、本書(1937,New York: Funk and Wagnalls)は8箇所(pp. 5, 92-122, 190)—対面的相互作用の章のうちの2節Acquaintanceship, Engagements Among the Unacquainted—で利用されています(Goffman 1963 には索引がありません)。より早い部分でゴフマンは、かれの問題関心と本書との関係を述べています。
It is in the context of this middle-class point of reference that I want to explain my use of quotations from etiquette manuals. When Mrs. Emily Post makes a pronouncement as to how persons of cultivation act, and how other persons ought therefore to act, sociologists often become offended. Their good reason for snubbing Mrs. Post is that she provides little evidence that the circle about which she speaks has any numerical or social significance, that its members do in fact conduct themselves as she says they do, or even that these persons -- or any others -- consider that one ought so to conduct oneself.p.5
Goffman へのBurkeの影響は明らかに認められているところですが、Goffman 1963 にはBurkeは引用されていません。Goffman は、エチケットマニュアルへ注目した社会学者としてW.Loyd Warner、また歴史学者としてArthur M. Schlesinger (Learning How to Behave. New York: The Macmillan Company, 1946)に言及しています(p.6)。
『エミリーポストのエチケット』の日本語版(2013)が宝島社から出版されており、出版の意図や動機などは書かれていませんが、2011年刊行の18版から、選択して抄訳したものとされています。帯には「良識と気品のある女性となるためのすべてをエミリーが教えてくれます」とありますが、もちろん本書には男性のためのエチケットの記事も含まれています。
『エミリー・ポストのエチケット』(日本語版)における行為(振る舞い)の記述の例を2つあげましょう。
『エミリーポストのエチケット』の日本語版(2013)が宝島社から出版されており、出版の意図や動機などは書かれていませんが、2011年刊行の18版から、選択して抄訳したものとされています。帯には「良識と気品のある女性となるためのすべてをエミリーが教えてくれます」とありますが、もちろん本書には男性のためのエチケットの記事も含まれています。
『エミリー・ポストのエチケット』(日本語版)における行為(振る舞い)の記述の例を2つあげましょう。
チケットを拝見
入場時に列に並ぶときは、あらかじめ手元にチケットを準備しておきましょう。その場でチケットを買うのなら、現金かクレジットカードを用意し、座席を選べる場合は事前にどの席にするか決めておきましょう。支払い済みのチケットを会場で受け取る場合は、専用窓口の有無を確認すれば、チケットを買う人の列tに並ばずに済みます。チケットの購入や受け取りに際して何か問題があったときは、列から離れて、マネジャーなどに対応を請いましょう。映画館では、上映作品をあらかじめ確認し、観たい作品が満席の場合に代わりに見る作品も決めておくといいでしょう。p.156
・・・
席に着くとき
・・・
すでに大勢の客が着席している列で、自分の席までたどり着くのはなかなか大変です。・・
舞台のほうを向いて、つまり、すでに席に着いている人たちに背を向けて、自分の席まで進みましょう。舞台の方を向いていれば、つまずいたり、転んだりしそうになったときに前の座席の背をつかめるので、誰かの膝の上に座り込んで恥ずかしい思いをせずに済みます。p.158
冒頭の引用において、Burke は、これらの記述が、「スタイル」すなわち、「状況にふさわしい望ましい催眠術を作り出す」ことの問題だと見ています。「スタイル」はここでは「ラベル」です—Burke はその引用部分の直前で、エチケットの語源は、内容を示すために瓶などに貼られるラベルだと言っています。ここで、スタイル=ラベルを構成するシンボルは何かと問うことができるでしょう。(1) チケット、現金、クレジットカード、マネジャー、代わりの作品、前の座席の背などは、エチケットに従う振る舞いを行うための準備や資源となる事物と言えます。(2) 並ぶ、準備する、買う、たどりつく、つまずく、つかむ、座り込むなどは、エチケットに従う・従わない振る舞いを構成する出来事ないし行為と言えます。(3) 人々(チケットを買う人、窓口の係員、マネジャー、着席している客)があります。これらの人々は「催眠術」をかけられる対象で、Burke が用いる別の表現では、「ご機嫌をとる」(ingratiate)ことをされる受け手たる人間です。これらの人間のご機嫌がとられなければならないのは、エチケットがそうした人々との関係をうまくやっていくための方法(規範)だからです。(4) エチケットの記述は、以上のようなシンボルを、理由、原因、結果、評価などの仕方である適切さをもって—ここにpietyが関連してきます—関連づけることからも成り立っています。(5) どうでもよいことですが、定義、記述の詳しさ、記述者の視点、等はエチケットという現象にとっては本質的でない便宜によって選ばれています。入場とは何か、チケットとは何か、座席とは何か、等は、意図によって、曖昧にされています(「見ることは見ないことである」)。
(revised 2013.10.13 22:53)
(revised 2013.10.13 22:53)