2月6日の教材は、Ken Liberman "Reflexivity of Rules in Games" Chapter 3 of his More Studies in Ethnomethodology (2013): 83-134 です。
本研究では、はじめてのボードゲームをするという行為が対象になります。著者は数年にわたり、学生とともにこの行為をビデオに録画し、詳細に観察しました。研究目的は、ルールという人間的現象を非制約的なしかたで分析することです。エスノメソドロジーの分析視角は典型的かつ創造的に本研究の中で活用されています。いろいろな読み方ができるのは当然ですが、分析される現象と切り離して、reflexivity や indeterminacy 等の理論的概念を理解することはすべきでありません。このことを念頭におき、セミナーで着目できるものとしてつぎの諸論題をあげておきます。
(1)ゲームをするとは典型的通常的にはどのような行為か。多くの社会的行為は、非ゲーム的であると言えましょう。また、ゲームをするという行為は、通常的、典型的には、協調的相互行為という特性をもつでしょう(けんかになることもあることはよく知られていると思います)。また、ゲームをするのは、典型的に、また通常的には、家族や友人の間でしょう。日常的に友人間でゲームをする場合には、Znanieckiの用語での「招待や誘惑」が行なわれることが多いでしょう。また、ゲームをする行為のもう一つの通常で典型的な特性は、行為者がゲームになじんでいるということです。これらの点から見ると、本研究は、典型的で通常的な特性に欠けるところがある(一種のトラブル状況)と思われます。しかし、同時にこのことが、本研究の発見の仕組みにもなっています。いかにしてそうなっているのかは一つの論点でしょう。
(2)なじみのないゲームをはじめてするのも、通常的、典型的ではないとはいえ、ゲームをする行為には違いありません。どのような行為かを考える価値はあります。戦術が深まらない、技術が低い、楽しみが浅い等の特徴があると想定されるでしょう。
(3)本研究の条件のもとでは、行為は、同時に学習でもあると言うべきでしょう。本研究でのゲームのルールは第1義的には、学習でもあるゲーム行為のなかで作用しているということになると思われます。
(4)ゲーム行為のさまざまな特性は、通常的、典型的なゲーム行為とも共通するものが多いと思います。本研究の知見のうち、それはどのようなものでしょうか。他方、ルールと行為の関係として眺める場合、立法、法解釈、判例等の現象との類似性や非類似性も見られるでしょう。
(5)ゲームのルールとゲーム行為の関係は、本研究の重要な分析的問題の一つです。より正確には、ゲームのルールを読むことと、ゲームをすることとの間関係について何が言えるか、という問題です。まず、ただちに観察できることは、「ルールは全部読まれない」、「ルールの意味はゲーム行為の経過の中でしかあきらかにならない」、「したがって、ゲームのルールを読む行為と、ゲームをする行為は、独立でもなく、継起的な関係でもない(ゲームのルール(の秩序ある読み)が行為の秩序性に先立って存在しているということはない)」等です。他方、先週のLivingstonによる読む行為の分析とあわせて、ゲームのルールを読む行為に焦点をあてると、ルールのテキストは、ゲーム行為と緊密に対になっている(またはゲーム行為の中で・として統一されている)と言えるかもしれません。また、本行為の分析は、現象学のノエシスの分析として行なうこともできるでしょう。その場合には、ノエマは何か、対象たる実在は何かという問いがたてられるでしょう。
(6)ゲームとルールの合理性と了解可能性。本行為の合理性を、ルールの交渉性、ゲームの楽しみ等に求めるというゴフマン的ともいえる分析視角は本研究の中で批判されています。そして、ルールの非交渉(non negotiation)ゲームそれ自体の流れ(flow of the game)や権威(legitimacy of the game)が強調されています。と同時に、Liberman (1985, 2004, 2007) の基調にもなっている、理性の公共性ないし集合性というアイディアがここでも適用されています。
文献:
Liberman 1985 Understanding Interaction in Central Australia: An Ethnomethodological Study of Australian Aboriginal People. (Routledge)
----------- 2004 Dialectical Practice in Tibetan Philosophical Culture: An Ethnomethodological Inquiry Into Formal Reasoning. (Rowman & Littlefield).
----------- 2007 Husserl's Criticism of Reason, With Ethnomethodological Specifications. (Lexington Books)
本研究では、はじめてのボードゲームをするという行為が対象になります。著者は数年にわたり、学生とともにこの行為をビデオに録画し、詳細に観察しました。研究目的は、ルールという人間的現象を非制約的なしかたで分析することです。エスノメソドロジーの分析視角は典型的かつ創造的に本研究の中で活用されています。いろいろな読み方ができるのは当然ですが、分析される現象と切り離して、reflexivity や indeterminacy 等の理論的概念を理解することはすべきでありません。このことを念頭におき、セミナーで着目できるものとしてつぎの諸論題をあげておきます。
(1)ゲームをするとは典型的通常的にはどのような行為か。多くの社会的行為は、非ゲーム的であると言えましょう。また、ゲームをするという行為は、通常的、典型的には、協調的相互行為という特性をもつでしょう(けんかになることもあることはよく知られていると思います)。また、ゲームをするのは、典型的に、また通常的には、家族や友人の間でしょう。日常的に友人間でゲームをする場合には、Znanieckiの用語での「招待や誘惑」が行なわれることが多いでしょう。また、ゲームをする行為のもう一つの通常で典型的な特性は、行為者がゲームになじんでいるということです。これらの点から見ると、本研究は、典型的で通常的な特性に欠けるところがある(一種のトラブル状況)と思われます。しかし、同時にこのことが、本研究の発見の仕組みにもなっています。いかにしてそうなっているのかは一つの論点でしょう。
(2)なじみのないゲームをはじめてするのも、通常的、典型的ではないとはいえ、ゲームをする行為には違いありません。どのような行為かを考える価値はあります。戦術が深まらない、技術が低い、楽しみが浅い等の特徴があると想定されるでしょう。
(3)本研究の条件のもとでは、行為は、同時に学習でもあると言うべきでしょう。本研究でのゲームのルールは第1義的には、学習でもあるゲーム行為のなかで作用しているということになると思われます。
(4)ゲーム行為のさまざまな特性は、通常的、典型的なゲーム行為とも共通するものが多いと思います。本研究の知見のうち、それはどのようなものでしょうか。他方、ルールと行為の関係として眺める場合、立法、法解釈、判例等の現象との類似性や非類似性も見られるでしょう。
(5)ゲームのルールとゲーム行為の関係は、本研究の重要な分析的問題の一つです。より正確には、ゲームのルールを読むことと、ゲームをすることとの間関係について何が言えるか、という問題です。まず、ただちに観察できることは、「ルールは全部読まれない」、「ルールの意味はゲーム行為の経過の中でしかあきらかにならない」、「したがって、ゲームのルールを読む行為と、ゲームをする行為は、独立でもなく、継起的な関係でもない(ゲームのルール(の秩序ある読み)が行為の秩序性に先立って存在しているということはない)」等です。他方、先週のLivingstonによる読む行為の分析とあわせて、ゲームのルールを読む行為に焦点をあてると、ルールのテキストは、ゲーム行為と緊密に対になっている(またはゲーム行為の中で・として統一されている)と言えるかもしれません。また、本行為の分析は、現象学のノエシスの分析として行なうこともできるでしょう。その場合には、ノエマは何か、対象たる実在は何かという問いがたてられるでしょう。
(6)ゲームとルールの合理性と了解可能性。本行為の合理性を、ルールの交渉性、ゲームの楽しみ等に求めるというゴフマン的ともいえる分析視角は本研究の中で批判されています。そして、ルールの非交渉(non negotiation)ゲームそれ自体の流れ(flow of the game)や権威(legitimacy of the game)が強調されています。と同時に、Liberman (1985, 2004, 2007) の基調にもなっている、理性の公共性ないし集合性というアイディアがここでも適用されています。
文献:
Liberman 1985 Understanding Interaction in Central Australia: An Ethnomethodological Study of Australian Aboriginal People. (Routledge)
----------- 2004 Dialectical Practice in Tibetan Philosophical Culture: An Ethnomethodological Inquiry Into Formal Reasoning. (Rowman & Littlefield).
----------- 2007 Husserl's Criticism of Reason, With Ethnomethodological Specifications. (Lexington Books)