11月7日(午後1時20分〜午後2時50分)の教材をのせました。(1) の資料のみパスワードが必要です。
・今回の該当部分の最後の節では、バークは、「感情の誤謬」、アニミズム、その他異常知覚などの現象を、内的な過程としての精神が外的環境に対応的に投影されるという角度からとらえ、内的なものと外的なものの連続性(あるいは相互規定・相互構成)というテーゼを確立しようとしています。節の最後の部分で、職業的精神症状、提喩法、擬人化などの、精神の「社会化」とかれが呼ぶものがある程度概括されて振り返られています。バークの関心の一つは、これらの社会化された精神症状が、歴史的にいかなるものか(何が永続し、何がどう変化するのか)にあり、それが書名の由来であると理解できます。
・ところで、誤植には鈍い方ですが、私の持っているPermanence and Change. 3rd Edition. University of California Press 1984/1997 の裏表紙の書評引用部分の2カ所で、書名が誤って Performance and Changeと印刷されているのに昨日気づきました。理解できる誤解です。
・ご承知のとおり、本書には、各部の冒頭に著者自身による要約があります。また、序言においても、3つの部門の関係が明示されています。しかし、これら自体も、本書の一部であり、文字通りの(外的で「非反映的」な)解説と受け取ることは危険です。
・本書の叙述は複雑さを持っていますが、その一つの原因・理由は、バークと当時の文学運動との関係にあることが伺えます。1930年代は、日本史では戦時中にあたり、社会科学史としては、戦争現象への対処を反映しつつ、知識人の間ではマルクス主義の影響が大きかった時期です。バークは、当時のマルクス主義や階級文学運動に対して、共感的であるとともに、距離をおいた立場をとっていました(「ボス」にかんするスケッチが長く引用されている、作家・編集者・批評家のエドゥイン・シーヴァーもこれに似た立場だったようです)。マルクス主義との距離をおく工夫が叙述の指導線の一つになっていると思われます。参考資料(8)を参照。
・戦争と詩というテーマが簡単に触れられていたので、日本の著名な詩人の戦争への反応のいくつかを眺めます。参考資料(3)。
・授業では、(a)バークの理論的立場とそれに由来するとされている通常社会学のシンボリックインタラクショニズムの異同、(b)ベンサムの改革案の一部である言語理論の現代社会学的意味など—法と言語というテーマでは、1960年代に川島武宜『科学としての法律学』、碧海順一『法と言語』、また少し下っては、来栖三郎『法とフィクション』等の著作もあり、比較する価値もあろうかと思います—も議論できればと思います。
2013.11.7
(1) Burke 1935 Part III The Basis of Simplification. pp. 167-215.
-> PDF -> 日本語訳(第3部)pp.167-215
(2) Thomas Carlyle, Sartor Resartus (衣服哲学・衣装哲学)1831
-> LINK (Project Gutenberg)
(3) 文藝と戦争
- 高村光太郎 「戦争と詩」 -> LINK
- 高村光太郎『暗愚小伝』 -> LINK
- 萩原朔太郎『日清戦争異聞ー原田重吉の夢』-> LINK LINK
- 小川未明『戦争』 -> LINK
(4) Thorstein Veblen, Instinct of Workmanship: And the State of Industrial Arts (1918)
-> LINK (The Internet Archive)
(5) ミゲル・デ・ウナムーノ (<- Burke: 196) (スペインの哲学者)
-> WIKIPEDIA JAPAN
(7) Edwin Seaver (1900-1987) (American editor, author, and critic)
(ホワイトカラーのスケッチ集 The Company (1930) の作者)
-> LINK (J.R. Rogers’s Blog)
(8) Burke と1930年代アメリカの共産主義文学運動
樋口秀雄「アメリカ1930年代における『文学戦争』について (II) —第1回全米作家会議におけるバークの報告をめぐって」『同志社大学英語英文学研究』, 10 , pp.53 - 72 , 1975
-> LINK
・今回の該当部分の最後の節では、バークは、「感情の誤謬」、アニミズム、その他異常知覚などの現象を、内的な過程としての精神が外的環境に対応的に投影されるという角度からとらえ、内的なものと外的なものの連続性(あるいは相互規定・相互構成)というテーゼを確立しようとしています。節の最後の部分で、職業的精神症状、提喩法、擬人化などの、精神の「社会化」とかれが呼ぶものがある程度概括されて振り返られています。バークの関心の一つは、これらの社会化された精神症状が、歴史的にいかなるものか(何が永続し、何がどう変化するのか)にあり、それが書名の由来であると理解できます。
・ところで、誤植には鈍い方ですが、私の持っているPermanence and Change. 3rd Edition. University of California Press 1984/1997 の裏表紙の書評引用部分の2カ所で、書名が誤って Performance and Changeと印刷されているのに昨日気づきました。理解できる誤解です。
・ご承知のとおり、本書には、各部の冒頭に著者自身による要約があります。また、序言においても、3つの部門の関係が明示されています。しかし、これら自体も、本書の一部であり、文字通りの(外的で「非反映的」な)解説と受け取ることは危険です。
・本書の叙述は複雑さを持っていますが、その一つの原因・理由は、バークと当時の文学運動との関係にあることが伺えます。1930年代は、日本史では戦時中にあたり、社会科学史としては、戦争現象への対処を反映しつつ、知識人の間ではマルクス主義の影響が大きかった時期です。バークは、当時のマルクス主義や階級文学運動に対して、共感的であるとともに、距離をおいた立場をとっていました(「ボス」にかんするスケッチが長く引用されている、作家・編集者・批評家のエドゥイン・シーヴァーもこれに似た立場だったようです)。マルクス主義との距離をおく工夫が叙述の指導線の一つになっていると思われます。参考資料(8)を参照。
・戦争と詩というテーマが簡単に触れられていたので、日本の著名な詩人の戦争への反応のいくつかを眺めます。参考資料(3)。
・授業では、(a)バークの理論的立場とそれに由来するとされている通常社会学のシンボリックインタラクショニズムの異同、(b)ベンサムの改革案の一部である言語理論の現代社会学的意味など—法と言語というテーマでは、1960年代に川島武宜『科学としての法律学』、碧海順一『法と言語』、また少し下っては、来栖三郎『法とフィクション』等の著作もあり、比較する価値もあろうかと思います—も議論できればと思います。
2013.11.7
(1) Burke 1935 Part III The Basis of Simplification. pp. 167-215.
-> PDF -> 日本語訳(第3部)pp.167-215
(2) Thomas Carlyle, Sartor Resartus (衣服哲学・衣装哲学)1831
-> LINK (Project Gutenberg)
(3) 文藝と戦争
- 高村光太郎 「戦争と詩」 -> LINK
- 高村光太郎『暗愚小伝』 -> LINK
- 萩原朔太郎『日清戦争異聞ー原田重吉の夢』-> LINK LINK
- 小川未明『戦争』 -> LINK
(4) Thorstein Veblen, Instinct of Workmanship: And the State of Industrial Arts (1918)
-> LINK (The Internet Archive)
(5) ミゲル・デ・ウナムーノ (<- Burke: 196) (スペインの哲学者)
-> WIKIPEDIA JAPAN
(7) Edwin Seaver (1900-1987) (American editor, author, and critic)
(ホワイトカラーのスケッチ集 The Company (1930) の作者)
-> LINK (J.R. Rogers’s Blog)
(8) Burke と1930年代アメリカの共産主義文学運動
樋口秀雄「アメリカ1930年代における『文学戦争』について (II) —第1回全米作家会議におけるバークの報告をめぐって」『同志社大学英語英文学研究』, 10 , pp.53 - 72 , 1975
-> LINK