以下は、Permanence & Change :162 (Conclusion to Part II) より、意味の「研究」と「使用」の区別、科学を典型とする「中立的語彙」と日常的(本来的)コミュニケーションにおける「重みづけられた語彙」の区別が論じられる部分です。
本書においては、まだ動機の語彙の体系的理論は提出されていませんが、その前提となるラディカルに社会的な言語観と行為理論(本書の主題は新たな行為理論*と言えます)が示されています。その特徴は、(1) 動機の語彙は、行為の存在を前提にする(行為が動機の語彙の存在を前提にするのではない)こと、(2) 動機の語彙は、「重み付け」を表現するが、その「重み付け」は主として、行為者によってではなく、社会によって付与されること、(3) 個々の行為は、物理的存在としての行為者を通じて、状況に働きかけることにより、歴史から相互行為にわたる社会的プロセスに創造性を持ち込むこと、(4) 生物的存在としての行為者の基礎的欲求(それは、基礎的動機・状況として表現される)が行為を通じて社会化(社会の状況に連結)されること、などと言えます。
本書においては、まだ動機の語彙の体系的理論は提出されていませんが、その前提となるラディカルに社会的な言語観と行為理論(本書の主題は新たな行為理論*と言えます)が示されています。その特徴は、(1) 動機の語彙は、行為の存在を前提にする(行為が動機の語彙の存在を前提にするのではない)こと、(2) 動機の語彙は、「重み付け」を表現するが、その「重み付け」は主として、行為者によってではなく、社会によって付与されること、(3) 個々の行為は、物理的存在としての行為者を通じて、状況に働きかけることにより、歴史から相互行為にわたる社会的プロセスに創造性を持ち込むこと、(4) 生物的存在としての行為者の基礎的欲求(それは、基礎的動機・状況として表現される)が行為を通じて社会化(社会の状況に連結)されること、などと言えます。
オグデンとリチャーズも、アイネシデモス((古代ギリシャの懐疑主義哲学者))の断片から、今日の言語学的懐疑主義がローマにおいて鋭く定式化されていたという証拠を掘り出した—その時期とは、キリスト教の志向によって準備されたあらたな高揚がそれを舞台から消し去る直前のことであった。意味またはシンボリズムが中心的な関心となるのは、まさに所与の意味のシステムが崩壊しようとするときである。しっかりと確立された意味の時代には、人はそれらを<研究 study>せず、それらを<使用 uses>するのだ。人は自己の行為をそれらにあわせて枠づける。この角度から見ると、組織的懐疑の科学的計画の全体は、「暗黒時代(dark ages)」—一つの確実性の図式から別のものへの移行の時期—に属する。
というのは、結局、人は中立的語彙によって伝達しあうわけではない。最も深い人間的意味において、人は、<重みづけられた weighted>語彙—その重み付けは、全体としてのかれの集団によって共有されている—によって伝達し合うのである。
*上記で「新たな行為理論」と呼んだのは、本書(Kenneth Burke, Permanence and Change: An Anatomy of Purpose.(New York: New Public, 1935))が, Florian Znaniecki, Social Actions.(New Yoyk: Farrar & Rinehart, 1936 ) , Talcott Parsons, The Structure of Social Action: A Study in Social Theory with Special Reference to a Group of Recent European Writers. 1st edition. (New York: The Free Press of Glencoe, 1937 ) が扱う主題と同一性をもつという趣旨です。詳細な年表は、こちらを参照。