Harold Garfinkel の『エスノメソドロジー研究』は、8章からなるが、そのうち1(部分),2,3,8章は既公表論文の再録であり、第7章は1960年に執筆されたものであった。未公表の4章は協力者があった。第4章はSaul Mendrovitz (Law School, Rutgers Univeristy)、 第5章はRobert J. Stoller (M.D. UCLA)、第6,7章は Egon Bittner (UCLA) が協力者 collaborator としてあげられている。
エスノメソドロジーの語は、既公表の章の中では第2章で用いられており、その公表年は1964年である。したがって、エスノメソドロジーの理論や研究は、一部の人々の間では、既知のものであった。1970年までには、エスノメソドロジーの研究者は無視できない数にのぼっていたと思われる。その一証拠として、イギリスで発行される雑誌『社会科学と医療 Social Science & Medicine 』の書評論文で Garfinkel と Goffman の社会学をとりあげた Virginia Olsen は、両者のアメリカ社会学全体へのインパクトは大きくないとしながら、「しかし、アメリカにおけるこの少数派のインパクト、また主にこの2人とかれらの評判によるそれが、相当なものであることは、アメリカにおいて、いまやかなり多くの正当なメンバー(a good many rightful members)、一定数の疑わしい主張者(a certain number of doubtful pretenders)、あちこちの物好きな崇拝者(a scattering of curious admirers) からなりたつ、社会学の「エスノメソドロジー前衛組織 ethnomethodology underground」の存在によって、十分に示されている。」(Olsen 1970: 415) と述べている。
1968年のASR の書評シンポジウムにおけるJames S. Coleman の書評と、1975年のLewis A. Coser による学会長講演は、それぞれ『エスノメソドロジー研究』とエスノメソドロジー運動へのもっとも敵対的な批評である。それは、アメリカ社会学からの敵対的反応としては典型的なものであった。日本ではよく知られているGouldner による批判は、社会学全体への批判者を自認する立場から行なわれており、それ自体が革新的批判であった。これに対して、前2者は、経験科学的社会学という、方法論的多数派を自認する保守的立場から行なわれたものである。これは、両者がそれなりに方法論的革新者であったこと(Coser の紛争理論、Coleman の合理主義理論)と両立しないわけではない。それぞれが自分の達成に固執しただけである。しかしそのいずれも歴史の批判に耐えなかった。
この経験主義的社会学による批判には、いくつかの特筆すべき共通項があった。
(1) それは、エスノメソドロジーを経験主義的社会学の一部分であるとみなしたため、両者が異なる方法論的基準に服するものとして行なわれていることを捉え損ねた。
(2) それは、現象学、ドイツ社会哲学、理解社会学等を克服済みの立場とみなしたため、経験主義的社会学の方法論的基準以外の基準の存在を想定できなかった。そのため、エスノメソドロジーは、その対象と手法によって、経験主義的社会心理学の一種とみなされた。
(3) それは、エスノメソドロジーが、経験主義的社会学がよって立つ基盤としての、社会の秩序性の成り立ちを経験主義的に問うものであることを捉え損ねた。したがって、それが問う社会学的基礎的問題を理解しなかった。とりわけ、平凡なものの成り立ちにこそ社会の秩序性の鍵があるという主張を理解できず、平凡なものは問題的でないという実践的立場(それが社会の秩序性の基礎であると主張されたにもかかわらず)を無自覚に利用し続けた。その点で、それは明白な自己反駁性をともなっていたが、そのことも当然見逃された。
(4) この結果、エスノメソドロジーは社会の秩序性を問うものであること、それに対して、経験主義的社会学はその秩序性を前提として(問わないことによって)秩序を管理するものであるという相違が理解されなかった。このため、エスノメソドロジーが、経験主義社会学の方法に即して、どのような仮説をたてているのか、どのような証明基準や反証基準をもつのかが、執拗に問われることになった。これは、Purdue Symposium における質疑のほとんどを占めている関心となった。しかし、経験主義的社会学の仮説は、ひとびとが現場の行為の展開のなかで行なう理解を対象とする場合(たとえば社会心理学の一種として理解される研究)であっても、科学的合理性の観点からの定式化(逸脱としての理解を含む)を目指すものであって、人々の行なう理解を対象としてそのあり方(社会秩序としての諸様相・諸機能・諸作用など---2015.2 .24加筆)を解明しようとするものではない。後者の理解が、科学的方法の基準に即さずに個々の行為を観察し報告する(すなわち秩序を産出しつつ維持する---2015.2.24加筆)人々の方法とその産物であることが『エスノメソドロジー研究』の眼目であり、そのような土着の科学を研究することがエスノメソドロジーの課題であった。
(5) 裏をかえせば、エスノメソドロジーの「神秘的」な研究実践やその報告(Coleman は『エスノメソドロジー研究』の第2章〜8章を逐一批判し、Coser は Sudnow による公共場面における視線による交流の研究をとりあげて批判したが、いずれもその批判対象を理解したと主張していない)は、経験主義的社会学の方法論への暗黙の批判であると理解された。Coleman や Coser のような方法論者や科学社会学者がエスノメソドロジーの実践を批判しなければならないと感じた理由はここにある。
(6) エスノメソドロジーが「基礎的な理論的論点にとりくんでいる」(Israel 1969: 335) ものであって、挨拶や視線の経験主義社会学的解明に寄与することをめざさないこと、むしろ、エスノメソドロジー研究において挨拶や視線が好まれる研究対象となる理由は、それらがどうしようもなく簡明かつ平凡(したがって観察報告可能性=アカウンタビリティを高度にもつもの)だからだということ—具体的には、パーソンズ社会学が、人々が協調的に行為するための条件を、科学的合理性を理論の基盤にすることによって、解明するプログラムであったのに対して、エスノメソドロジーが、そのような理論に頼らずに、観察されつつ理解される秩序(単位行為)という現象から遡るという方法で、同じ問題(社会秩序の成立)を問うものであることは、その研究活動やその分野(医療、UCLA 等)においてGarfinkelとの綿密な接触をもった少数の人には、おそらく理解されていた。たとえば、AJSの書評者で自殺行動の研究者であった James Wilkins (イリノイ大学->トロント大学)はエスノメソドロジーの一般性と可能性を感じていた (Wilkins 1968: 642-643)。
エスノメソドロジーの語は、既公表の章の中では第2章で用いられており、その公表年は1964年である。したがって、エスノメソドロジーの理論や研究は、一部の人々の間では、既知のものであった。1970年までには、エスノメソドロジーの研究者は無視できない数にのぼっていたと思われる。その一証拠として、イギリスで発行される雑誌『社会科学と医療 Social Science & Medicine 』の書評論文で Garfinkel と Goffman の社会学をとりあげた Virginia Olsen は、両者のアメリカ社会学全体へのインパクトは大きくないとしながら、「しかし、アメリカにおけるこの少数派のインパクト、また主にこの2人とかれらの評判によるそれが、相当なものであることは、アメリカにおいて、いまやかなり多くの正当なメンバー(a good many rightful members)、一定数の疑わしい主張者(a certain number of doubtful pretenders)、あちこちの物好きな崇拝者(a scattering of curious admirers) からなりたつ、社会学の「エスノメソドロジー前衛組織 ethnomethodology underground」の存在によって、十分に示されている。」(Olsen 1970: 415) と述べている。
1968年のASR の書評シンポジウムにおけるJames S. Coleman の書評と、1975年のLewis A. Coser による学会長講演は、それぞれ『エスノメソドロジー研究』とエスノメソドロジー運動へのもっとも敵対的な批評である。それは、アメリカ社会学からの敵対的反応としては典型的なものであった。日本ではよく知られているGouldner による批判は、社会学全体への批判者を自認する立場から行なわれており、それ自体が革新的批判であった。これに対して、前2者は、経験科学的社会学という、方法論的多数派を自認する保守的立場から行なわれたものである。これは、両者がそれなりに方法論的革新者であったこと(Coser の紛争理論、Coleman の合理主義理論)と両立しないわけではない。それぞれが自分の達成に固執しただけである。しかしそのいずれも歴史の批判に耐えなかった。
この経験主義的社会学による批判には、いくつかの特筆すべき共通項があった。
(1) それは、エスノメソドロジーを経験主義的社会学の一部分であるとみなしたため、両者が異なる方法論的基準に服するものとして行なわれていることを捉え損ねた。
(2) それは、現象学、ドイツ社会哲学、理解社会学等を克服済みの立場とみなしたため、経験主義的社会学の方法論的基準以外の基準の存在を想定できなかった。そのため、エスノメソドロジーは、その対象と手法によって、経験主義的社会心理学の一種とみなされた。
(3) それは、エスノメソドロジーが、経験主義的社会学がよって立つ基盤としての、社会の秩序性の成り立ちを経験主義的に問うものであることを捉え損ねた。したがって、それが問う社会学的基礎的問題を理解しなかった。とりわけ、平凡なものの成り立ちにこそ社会の秩序性の鍵があるという主張を理解できず、平凡なものは問題的でないという実践的立場(それが社会の秩序性の基礎であると主張されたにもかかわらず)を無自覚に利用し続けた。その点で、それは明白な自己反駁性をともなっていたが、そのことも当然見逃された。
(4) この結果、エスノメソドロジーは社会の秩序性を問うものであること、それに対して、経験主義的社会学はその秩序性を前提として(問わないことによって)秩序を管理するものであるという相違が理解されなかった。このため、エスノメソドロジーが、経験主義社会学の方法に即して、どのような仮説をたてているのか、どのような証明基準や反証基準をもつのかが、執拗に問われることになった。これは、Purdue Symposium における質疑のほとんどを占めている関心となった。しかし、経験主義的社会学の仮説は、ひとびとが現場の行為の展開のなかで行なう理解を対象とする場合(たとえば社会心理学の一種として理解される研究)であっても、科学的合理性の観点からの定式化(逸脱としての理解を含む)を目指すものであって、人々の行なう理解を対象としてそのあり方(社会秩序としての諸様相・諸機能・諸作用など---2015.2 .24加筆)を解明しようとするものではない。後者の理解が、科学的方法の基準に即さずに個々の行為を観察し報告する(すなわち秩序を産出しつつ維持する---2015.2.24加筆)人々の方法とその産物であることが『エスノメソドロジー研究』の眼目であり、そのような土着の科学を研究することがエスノメソドロジーの課題であった。
(5) 裏をかえせば、エスノメソドロジーの「神秘的」な研究実践やその報告(Coleman は『エスノメソドロジー研究』の第2章〜8章を逐一批判し、Coser は Sudnow による公共場面における視線による交流の研究をとりあげて批判したが、いずれもその批判対象を理解したと主張していない)は、経験主義的社会学の方法論への暗黙の批判であると理解された。Coleman や Coser のような方法論者や科学社会学者がエスノメソドロジーの実践を批判しなければならないと感じた理由はここにある。
(6) エスノメソドロジーが「基礎的な理論的論点にとりくんでいる」(Israel 1969: 335) ものであって、挨拶や視線の経験主義社会学的解明に寄与することをめざさないこと、むしろ、エスノメソドロジー研究において挨拶や視線が好まれる研究対象となる理由は、それらがどうしようもなく簡明かつ平凡(したがって観察報告可能性=アカウンタビリティを高度にもつもの)だからだということ—具体的には、パーソンズ社会学が、人々が協調的に行為するための条件を、科学的合理性を理論の基盤にすることによって、解明するプログラムであったのに対して、エスノメソドロジーが、そのような理論に頼らずに、観察されつつ理解される秩序(単位行為)という現象から遡るという方法で、同じ問題(社会秩序の成立)を問うものであることは、その研究活動やその分野(医療、UCLA 等)においてGarfinkelとの綿密な接触をもった少数の人には、おそらく理解されていた。たとえば、AJSの書評者で自殺行動の研究者であった James Wilkins (イリノイ大学->トロント大学)はエスノメソドロジーの一般性と可能性を感じていた (Wilkins 1968: 642-643)。
Readers will quickly discover that ethnomethodology does not belong to any discipline other than sociology, that it is a distinctive way of dealing with almost any sociological problem, and that its concepts and the observations they call for are more precise )while not becoming trivial) than those we have become accustomed to. ... One of the more refreshing features of ethnomethodology is that, while it is a general (i.e., widely applicable) conceptual scheme, it does more than restate what is already known; it actually reconceptualizes a great deal and opens a large number of hypotheses for testing. Once the reader can get inside this way of thinking, he may well find that there is more to get excited about than the current controversy alone..
蛇足。Coleman は、アグネスの章を批評するために、Johns Hopkins 大学の同僚である、心理学者・小児科医学者・性医学者である、John Money の助言をもとめたという(Coleman 1968: 127)。Candice West は、ガーフィンケル・メモリアル・カンファレンスで、この Money と性別化された社会との関係について指摘している(樫村「ハロルド・ガーフィンケル・メモリアルカンファレンスに出席して」LINK )。
セクシュアルな地位は、ガーフィンケルにより、はじめて当初から自然に、あるいはその他の仕方で、正常的に性別化された人々が住まう、ノーマルな環境のもとでの達成とみなされた。この現象あるいはそれに関連する現象に関する著述は、その後現在まで、フェミニズムのなかで盛んに行われている。ウェスト教授は、社会的役割を中心とするジェンダーの概念を構築し、自ら幼児期に性器傷害を負った子どもに新たな性を与える手術を成功させたと主張したジョン・マネー(John Money)の理論に言及し、マネーの理論が、ガーフィンケルが指摘する、性が本質的に男女のいずれかでしかありえないという想定に依存していたこと、そしてこの想定から、アメリカ社会がそこからの自由をもとめてきた、多くの生物的または社会的な性の概念が基盤づけられていることを指摘し、彼女自身やジンマーマン教授の仕事だけでなくいかにおおくのセックスとジェンダー研究がかれによって可能になったかと指摘した。
Coleman は助言者の選択からしてひどく誤っていたわけだ。
-> John Money @ Wikipedia
References:
Coleman, James S. 1968 Review of Studies in Ethnomethodology by Harold Garfinkel. American Sociological Review, Vol. 33, No. 1. (Feb., 1968), pp. 126-130.
Coser, Lewis A. 1975 Presidential Address: Two Methods in Search of a Substance. American Sociological Review, Vol. 40, No. 6 (Dec., 1975), pp. 691-700
Israel, Marvin 1969 Comment on James Coleman's Review of Harold Garfinkel's "Studies in Ethnomethodology," The American Sociologist, Vol. 4, No. 4 (Nov., 1969), pp. 335-336.
Olsen, Virginia 1970 Ethnomethodology and Ethnography. Social Science & Medicine, Vol.3, pp.414-418.
Wilkins, James 1968 Review of Studies in Ethnomethodology. American Journal of Sociology, Vol.73, No.5 (Mar., 1968), pp.642-643.
Last updated on July 31 2014.
-> John Money @ Wikipedia
References:
Coleman, James S. 1968 Review of Studies in Ethnomethodology by Harold Garfinkel. American Sociological Review, Vol. 33, No. 1. (Feb., 1968), pp. 126-130.
Coser, Lewis A. 1975 Presidential Address: Two Methods in Search of a Substance. American Sociological Review, Vol. 40, No. 6 (Dec., 1975), pp. 691-700
Israel, Marvin 1969 Comment on James Coleman's Review of Harold Garfinkel's "Studies in Ethnomethodology," The American Sociologist, Vol. 4, No. 4 (Nov., 1969), pp. 335-336.
Olsen, Virginia 1970 Ethnomethodology and Ethnography. Social Science & Medicine, Vol.3, pp.414-418.
Wilkins, James 1968 Review of Studies in Ethnomethodology. American Journal of Sociology, Vol.73, No.5 (Mar., 1968), pp.642-643.
Last updated on July 31 2014.