本日のEMCAセミナーは、Garfinkel 1956b を議論します。日本語試訳は、教材配布サイトにあります (password required)。
(1) 著者の分析は、地位降格儀式 (status degradation ceremonies )が、客観的にいつ、どこで、どんな風に起こるのかについてのものではありません。論文の前半では、地位降格儀式の構造や、成功の判断基準について、精緻な概念枠組が簡単に説明されていますが、それは、地位降格儀式が「客観的に」(=任意の観察者の判断として)成功するかどうかという観点では書かれていません。著者の分析は、Blumer ならばそうするかもしれないような、降格儀式に関わる人々の観点をまんべんなく扱うものでもなく、一つの行為者の観点—降格を行なおうとする者—に即して、その企図された行為の成功条件をあきらかにしようとするもの—地位降格行為を対象とする分析—です。
(2) 著者の関心は、客観的に生起するものとしての地位降格行為に向けられているものでもなく、また、心理的実在としての主観的判断やその他の行為に向けられているものでもなく、地位降格行為の合理性に向けられています。このことは、同じ1956 年に発表されたGarfinkel 1956a において、合理性が「行為の背景の安定性」にあるとされていたことからも、理解できるでしょう。ここから、地位降格行為の合理性の第一の要素は、地位降格行為の対象となる人と事件を<タイプ化>することだという主張が出てきます。タイプ化は、Schuetz に由来するものとされています。 Garfinkel は、同時に標準化 (standardization) を強調しています。これらは、行為とそのシンボリックな水準での反復可能性(すなわち合理性)に関わる概念です。
(3) その合理性の枠組はしばしば図式という用語で呼ばれています。この合理性や行為の捉え方は、David Sudnow の normal crimes の図式につながるところがあるでしょう。後者においては、その地域の、犯罪のタイプ化された特性が、答弁取引の合理性の基礎をなしているとの分析が行なわれています。Garfinkel の合理性の捉え方は、Parsons のそれがルール追従を根幹とする、基本的にMax Weber に従うものだとすると、集合体の聖性を根幹とする、基本的に Emile Durkheim に従うものだという解釈に親しむものといえるでしょう。
(4) 本論文のスタイルも、Garfinkel 1956a に照らしてみると、興味深いものです。地位降格儀式が、地位授与や昇格儀式と類似する構造をもっているという指摘、降格者の訴追権や義務が集合体へ加えられた「害悪のおかげによって」(by virtue of the wrong) 付与されるという言い方、地位降格行為が基本的に証人たち (the witnesses) の状況の定義 (definitions of situation)を変化させることを中核として捉えられていること、変化についての長い注、いわゆるマクロ水準とミクロ水準を共通にとらえる行為のシンボリック・演劇論的な分析視角などに注目する価値があるでしょう。
試訳を修正しました。(2014.5.27 16:40)
文献
Garfinkel, Harold 1956a Some Sociological Concepts and Methods for Psychiatrists. Psychiatric Research Reports, vol. 6 (Oct. 6): 181-195.
Garfinkel, Harold 1956b Conditions of Successful Degradation Ceremonies, American Journal of Sociology, vol.61 No.5 (Mar.) :240-244.
Sudnow, David 1965 Normal Crimes: Sociological Features of the Penal Code in a Public Defender Office, Social Problems, Vol. 12, No. 3 (Winter): 255-276.
(1) 著者の分析は、地位降格儀式 (status degradation ceremonies )が、客観的にいつ、どこで、どんな風に起こるのかについてのものではありません。論文の前半では、地位降格儀式の構造や、成功の判断基準について、精緻な概念枠組が簡単に説明されていますが、それは、地位降格儀式が「客観的に」(=任意の観察者の判断として)成功するかどうかという観点では書かれていません。著者の分析は、Blumer ならばそうするかもしれないような、降格儀式に関わる人々の観点をまんべんなく扱うものでもなく、一つの行為者の観点—降格を行なおうとする者—に即して、その企図された行為の成功条件をあきらかにしようとするもの—地位降格行為を対象とする分析—です。
(2) 著者の関心は、客観的に生起するものとしての地位降格行為に向けられているものでもなく、また、心理的実在としての主観的判断やその他の行為に向けられているものでもなく、地位降格行為の合理性に向けられています。このことは、同じ1956 年に発表されたGarfinkel 1956a において、合理性が「行為の背景の安定性」にあるとされていたことからも、理解できるでしょう。ここから、地位降格行為の合理性の第一の要素は、地位降格行為の対象となる人と事件を<タイプ化>することだという主張が出てきます。タイプ化は、Schuetz に由来するものとされています。 Garfinkel は、同時に標準化 (standardization) を強調しています。これらは、行為とそのシンボリックな水準での反復可能性(すなわち合理性)に関わる概念です。
(3) その合理性の枠組はしばしば図式という用語で呼ばれています。この合理性や行為の捉え方は、David Sudnow の normal crimes の図式につながるところがあるでしょう。後者においては、その地域の、犯罪のタイプ化された特性が、答弁取引の合理性の基礎をなしているとの分析が行なわれています。Garfinkel の合理性の捉え方は、Parsons のそれがルール追従を根幹とする、基本的にMax Weber に従うものだとすると、集合体の聖性を根幹とする、基本的に Emile Durkheim に従うものだという解釈に親しむものといえるでしょう。
(4) 本論文のスタイルも、Garfinkel 1956a に照らしてみると、興味深いものです。地位降格儀式が、地位授与や昇格儀式と類似する構造をもっているという指摘、降格者の訴追権や義務が集合体へ加えられた「害悪のおかげによって」(by virtue of the wrong) 付与されるという言い方、地位降格行為が基本的に証人たち (the witnesses) の状況の定義 (definitions of situation)を変化させることを中核として捉えられていること、変化についての長い注、いわゆるマクロ水準とミクロ水準を共通にとらえる行為のシンボリック・演劇論的な分析視角などに注目する価値があるでしょう。
試訳を修正しました。(2014.5.27 16:40)
文献
Garfinkel, Harold 1956a Some Sociological Concepts and Methods for Psychiatrists. Psychiatric Research Reports, vol. 6 (Oct. 6): 181-195.
Garfinkel, Harold 1956b Conditions of Successful Degradation Ceremonies, American Journal of Sociology, vol.61 No.5 (Mar.) :240-244.
Sudnow, David 1965 Normal Crimes: Sociological Features of the Penal Code in a Public Defender Office, Social Problems, Vol. 12, No. 3 (Winter): 255-276.