6/10 (火) のEMCA セミナーでは、Garfinkel 1952 The Perception of the Other: A Study in Social Order (第1章および第2章) をとりあげて議論します。これは、いうまでもなくGarfinkel がHarvard 大学に提出し社会学博士号を得た論文です.教材および参考資料は下記の通りです。教材は(1),(2)、他は参考資料.
第1章では、本論文の目的が述べられます。本論文の主目的は、「経験構造の分析のみから、一般化された社会システム (の理論) を建設すること」(Garfinkel 1952: 1) です。それは、パーソンズと違った仕方で、Max Weber の諸研究を発展させるものと位置づけられています。もっとも、ウェーバーに関する議論はほとんどなされていません。かれの追求する理論的作業は、人間精神の存在を仮定することなく、「行動のみが存在を許される」(Garfinkel 1952: 2) という観察者の観点から、この課題を達成し、新たな行為の語彙 vocabulary of the theory of conduct を明確化することです。このプログラムの追求は、いずれエスノメソドロジーを生みだすものですが、それが、パーソンズともシュッツとも異なる発想にもとづくものであることは、明らかです。
第2章「秩序の問題に関するメタ理論的諸考察」では、秩序問題を、社会学理論・説明方法の分類学を背景にして、描きます。第2章は、直接には、Kenneth Burke の動機の文法の考え方を、社会学理論の流儀で構築し直そうとするものとして、出発します。つぎに、社会学理論・説明方法が、3種類((1) 包含の関係、(2) 一つの判断への分離された寄与力の関係、(3) 弁証法的関係)示されます。これは、社会学的説明の中に動員される諸用語と用語間の関係のさまざまな必当然的明証に即した分類で、フッサールの純粋論理学の方法を、バークの「恒常と変化」という社会学的問題の領域に、応用したもののように見えます。第2章はつぎのようにまとめられます。
われわれが学んだ—あるいは、われわれが例証した—のは、社会秩序の問題が、その構成の中で、いつでもそれを描く言語に相対的であるということであった。したがって、分析的に社会秩序の問題を代表するための可能な方法は、きわめて多数になる。秩序の諸理論が実際には一定数しかないということから、自文化中心主義 ethnocentrism が分析的理論の道筋に置いたさまざまな制約を疑わざるを得ない。そのような自文化中心の影響力がいかに微妙なものでありうるかは、フッサールが「自然的態度」とよんだものの現象学について、われわれが今日よりももっとよく知るまでは、あきらかになるまい。
あらゆる言語 (または、理論) が一つの規約以上のものではないかどうか、そして事実いかなる社会学的理論もイデオロギー以上のものになりうるかどうかは、今日の社会学理論の貧困さの基礎の上では、開かれた問いであるといわなければならない。(Garfinkel 1952: 23) (emphasis added by the blog author)
Garfinkel の Seeing Sociologically 1948 は本論文のための研究計画書ですが、その中では、行為の理論のための語彙がかなり展開されています。また、合理性問題と社会学の方法論(客観性)の問題の結合は、 Garfinkel が Weber をどう読んだかを、伺わせるものと言えます。
先週の検討では、Garfinkel 1960 (Rational Properties 論文) において、Schutz とGarfinkel との分岐が見られると示唆しました。本論文の範囲では、その分岐は明白ではありません。しかし、すでに科学論の次元においては、その影響の重要性はともかく、シュッツのそれに対する独自性は明白に存在しています。
教材と資料:
(1) Garfinkel 1952 Chapters 1-2
(2) 日本語試訳
(3) Garfinkel 1952 The Perception of the Other: A Study in Social Order.
(4) Argument of "sensate society" (Garfinkel 1952: 13) probably referring to P. Sorokin.
"Sorokin's sociology of knowledge rejects any attempt to root ideas in the existential conditions of thinkers and their audiences. " (Coser 1977)
(5) Burke, Grammar of Motives.
"In an exhibit of photographic murals (Road to Victory) at the Museum of Modern Art, there was an aerial photograph of two launches, proceeding side by side on a tranquil sea. Their wakes crossed and recrossed each other in almost an infinity of lines. Yer despite the intricateness of this tracery, the picture gave an impression of great simplicity, because one could quickly perceive the generating principle of its design." (p. xvi)
(6) On Burke's Grammar of Motives and his use of photography, Kerry McCarthy Thinking with photographs at the margins of Antarctic exploration. 2010.
第1章では、本論文の目的が述べられます。本論文の主目的は、「経験構造の分析のみから、一般化された社会システム (の理論) を建設すること」(Garfinkel 1952: 1) です。それは、パーソンズと違った仕方で、Max Weber の諸研究を発展させるものと位置づけられています。もっとも、ウェーバーに関する議論はほとんどなされていません。かれの追求する理論的作業は、人間精神の存在を仮定することなく、「行動のみが存在を許される」(Garfinkel 1952: 2) という観察者の観点から、この課題を達成し、新たな行為の語彙 vocabulary of the theory of conduct を明確化することです。このプログラムの追求は、いずれエスノメソドロジーを生みだすものですが、それが、パーソンズともシュッツとも異なる発想にもとづくものであることは、明らかです。
第2章「秩序の問題に関するメタ理論的諸考察」では、秩序問題を、社会学理論・説明方法の分類学を背景にして、描きます。第2章は、直接には、Kenneth Burke の動機の文法の考え方を、社会学理論の流儀で構築し直そうとするものとして、出発します。つぎに、社会学理論・説明方法が、3種類((1) 包含の関係、(2) 一つの判断への分離された寄与力の関係、(3) 弁証法的関係)示されます。これは、社会学的説明の中に動員される諸用語と用語間の関係のさまざまな必当然的明証に即した分類で、フッサールの純粋論理学の方法を、バークの「恒常と変化」という社会学的問題の領域に、応用したもののように見えます。第2章はつぎのようにまとめられます。
われわれが学んだ—あるいは、われわれが例証した—のは、社会秩序の問題が、その構成の中で、いつでもそれを描く言語に相対的であるということであった。したがって、分析的に社会秩序の問題を代表するための可能な方法は、きわめて多数になる。秩序の諸理論が実際には一定数しかないということから、自文化中心主義 ethnocentrism が分析的理論の道筋に置いたさまざまな制約を疑わざるを得ない。そのような自文化中心の影響力がいかに微妙なものでありうるかは、フッサールが「自然的態度」とよんだものの現象学について、われわれが今日よりももっとよく知るまでは、あきらかになるまい。
あらゆる言語 (または、理論) が一つの規約以上のものではないかどうか、そして事実いかなる社会学的理論もイデオロギー以上のものになりうるかどうかは、今日の社会学理論の貧困さの基礎の上では、開かれた問いであるといわなければならない。(Garfinkel 1952: 23) (emphasis added by the blog author)
Garfinkel の Seeing Sociologically 1948 は本論文のための研究計画書ですが、その中では、行為の理論のための語彙がかなり展開されています。また、合理性問題と社会学の方法論(客観性)の問題の結合は、 Garfinkel が Weber をどう読んだかを、伺わせるものと言えます。
先週の検討では、Garfinkel 1960 (Rational Properties 論文) において、Schutz とGarfinkel との分岐が見られると示唆しました。本論文の範囲では、その分岐は明白ではありません。しかし、すでに科学論の次元においては、その影響の重要性はともかく、シュッツのそれに対する独自性は明白に存在しています。
教材と資料:
(1) Garfinkel 1952 Chapters 1-2
(2) 日本語試訳
(3) Garfinkel 1952 The Perception of the Other: A Study in Social Order.
(4) Argument of "sensate society" (Garfinkel 1952: 13) probably referring to P. Sorokin.
"Sorokin's sociology of knowledge rejects any attempt to root ideas in the existential conditions of thinkers and their audiences. " (Coser 1977)
(5) Burke, Grammar of Motives.
"In an exhibit of photographic murals (Road to Victory) at the Museum of Modern Art, there was an aerial photograph of two launches, proceeding side by side on a tranquil sea. Their wakes crossed and recrossed each other in almost an infinity of lines. Yer despite the intricateness of this tracery, the picture gave an impression of great simplicity, because one could quickly perceive the generating principle of its design." (p. xvi)
(6) On Burke's Grammar of Motives and his use of photography, Kerry McCarthy Thinking with photographs at the margins of Antarctic exploration. 2010.